負 け 戦

 東京裁判史観の見直しと東京裁判

 「自虐史観」「東京裁判史観」などと呼んでいる近現代史の見直しには、「残虐行為・残虐事件」をどう位置づけ、どう克服するかがカギだと前回に書きました。
 もう少しハッキリ書けば、この問題の克服なしに、どのような主張や処方箋を展開しても、歴史見直しが出来るとは思いません。なにせ私たち日本人は、日本軍による残虐行為・残虐事件を、いやというほど頭に刻みこまれたがゆえに、この歴史観、歴史イメージを払拭できないでいるのですから。
 そして、「残虐行為」こそが主要な問題点であることは、以下のことが雄弁に物語っています。

  アメリカでの宣伝戦
 当面の災厄として日本で憂慮されている問題の一つに、アメリカで上映されている映画があります。それは、日本軍(兵)の際立った残虐ぶりを強調した「南 京」であり、もう一つの問題は、同じアメリカの下院に提出された「対日非難決議案」の行方にあります。この決議案は、「従軍慰安婦」に関わるもので、決議案提出者のマイク・ホンダ議員は「いまを逃せば、日本政府に慰安婦問題をめぐる責任を認知させる歴史的な機会は失われる」と採択を訴えています。

 「南京」と「慰安婦」、これは偶然ではありません。「南京」と「慰安婦」の問題は、その残虐性、非人間性ゆえに、日本をたたく格好の材料という共通点があるからです。ですから、宣伝戦・情報戦においては、場所が変わり、時が移っても、731部隊などとテーマを変えながら、一貫してナチス同様、史上に類を見ない日本軍の残虐性を強調する内容に変化が生じるすわけがありません。あくまで「残虐性」が宣伝の主役で、「侵略」の方は脇役です。

 ですから、「私は満州事変以前に遡って歴史の流れを検証する努力なしに、いわれのない罪の意識を国民全体は払拭できないと思う」 とする著名な大学教授の提言など、首をかしげてしまうのです。どうして、この提言で、日本人の贖罪意識が払拭できるでしょうか。でも、このような処方箋というか、主張のなんと多い(多かった)ことか。

    東京裁判の影響は限定的だった
 「東京裁判史観」という呼称は、小堀 桂一郎・東京大学名誉教授がはじめて使用したらしいことは、前回に記しました。もっとも、本で読んだだけですので、断言はできませんが。
 ただ、その時期、つまり「東京裁判史観」という用語が使われだしたのは、1982年(昭和57)年頃というのは間違いないと思います。これ以前に、伊藤 隆・東大名誉教授が「極東裁判史観」という用語を使用したという指摘もあります。
 東京裁判史観を正すには東京裁判を見直すべき、とする論も見かけます。「東京裁判史観」は字義通りに解釈すれば、「東京裁判」の判決等によってもたらされた「史観」ということでしょう。

 これはこれでいいのですが、問題は「東京裁判史観の見直し」「東京裁判の見直し」が、おおむねイコールなのかという点です。
 つまり、東京裁判の見直しができれば、東京裁判史観が見直されるかといえば、私は違うと思っています。東京裁判がかりに正されても(まあ、困難でしょうが)、東京裁判史観の是正にほとんど影響がないというのが私の見方です。
 同様のことが、GHQ(占領軍総司令部)のいわゆる「戦争についての罪悪感を日本人の心にに植えつけるための宣伝計画」(WGIP=war guilt infomation program)についても言えることだと思っています。

 考えてもください。東京裁判の存在自体も、ましてWGIPについては、ほとんどの日本人は、もう知らないのです。「南京虐殺」「従軍慰安婦」「731部隊」「三光作戦」などによる日本軍の非道さ、残虐さを知ったのは、新聞をはじめとするメディア、学校教育の場などでしょう。
 裁判の中身となると、多少とも知る人はほんの一握りです。このような現状で、どうして東京裁判を正すことが、東京裁判史観を正すことになると考えるのでしょうか。

 東京裁判、WGIPによる影響は、一部の知識層に影響を及ばしたのは確かでしょうし、今日も影響は残っているかもしれませんが、広がりという点であくまで限定的です。たしかに、「南京虐殺」がこの裁判で突如として現れ、またWGIPの一環として行われたラジオ放送 「真相箱」で、「この南京の大虐殺こそ、近代史上まれに見る凄惨なもので、実に婦女子2万名が惨殺されたのであります」 などと、宣伝が行われたのは確かですが、現在の日本国内での南京事件解明や論争にもう関係ないでしょう(ただ、中国や欧米に対しては考慮する必要がありますが)。

  世論調査結果と署名運動
 1952(昭和27)年4月28日、6年以上のアメリカよる占領が終わりました。この年の2月と6月に2つの興味ある調査と署名運動が行われました。この2つの結果が、東京裁判・WGIPがどの程度、一般国民の間に浸透していたか、有力な判断材料になります。
 まず、読売新聞の世論調査ですが、「再軍備」について賛否を問うたところ、56、9%が再軍備賛成とでています。日本人は戦争に懲り懲りしていたはずですが、それでも朝鮮戦争などを考慮に入れて、無防備路線を支持しませんでした。

 もう一つは、当時、巣鴨プリズンに拘留されていた「戦犯の釈放」を要求する署名運動です。 ひたすら近隣諸国を侵略したあげくに自国を敗戦に追い込み、しかも近代史上まれな凄惨な「大虐殺」を引き起こした軍部の最高責任者らを釈放する署名運動など、成功するはずがないでしょう。
 ところが、4000万人という、大変な数の署名が集まったのです。当時の人口は約8000万人でしたから、大人から赤ん坊まで含め、2人に1人が署名したのです。しかも、この運動を発議したのが、社会党の代議士というのですから。
 東京裁判が終わって3年、WGIPという洗脳工作がつい今しがたまで進行中であったはずなのに、この結果。やはり、当時でも、東京裁判やWGIPの一般人への影響など、限定的だったというのです。

    戦勝国の裁き、東京裁判
 それに、東京裁判が戦勝国の裁きであったことを、日本人に理解してもらうのは、そんなに難しいことなのでしょうか。
 いわゆるA級戦犯28人に対し、いろいろな理由をつけた訴因(3類55訴因)でもって起訴したのが、の1948(昭和23)年4月29日、死刑の判決(11月12日)を受けた7被告の死刑執行はこの年の12月23日でした。

 4月29日は昭和天皇の誕生日、12月23日は今上天皇の御誕生日という事実を知るだけで、この裁判が正当なものではなく、戦勝国による報復裁判であったことは、ごく普通の日本人は直感的にわかると思います。
 これでも東京裁判が正当だとする人には、何を言ってもムダですから、あきらめた方がよいと思っています。

  近隣諸国条項の前後を振り返ると
 「東京裁判史観」という言葉が出てきたのは、1982(昭和57)年頃と先ほど書きました。この時期は注目に価します。というのも、この年は「侵略、進出」問題という報道機関の誤報がもとで、「近隣諸国条項」が教科書の検定基準に加わった記念すべき年だからです。この年を境に、歴史教科書(日本史、世界史とも)に残虐事件のオンパレードになったのです。
 この原因を、終了後すでに30年も経過してる「東京裁判」に求めるのはムリでしょう。それに求めたところで肝心の歴史観の是正にはつながるなど、およそ考えられません。
 そうなのです、この10年前に始まった朝日新聞の「中国の旅」連載の影響と見たほうが、はるかに的を射ています。この連載により、日本軍の残虐問題に焦点がさだまり、お調子ものの日本のメディアが競うようにして、日本を貶めていったのですから。裏づけをとらないままにです。