汚染はこうして広がる

―作家 漫画家 僧侶 教科書―


 万人坑は中国人民の教育基地として、また日本には「歴史カード」として贖罪意識の浸透など目覚しい効果をあげてきました。
 白骨化した人骨の山の前に、「中国人労働者を酷使した動かぬ証拠」(鉄証)と、説明者が涙ながらにして日本の非をならせば、「申し開きができません」と日本人は土下座するばかりに謝罪してしまいます。

 日本側の話しも聞いて見なければ、となぜ思わないのでしょうか。「加害者」とされた日本側をほんの少し調べる努力をすれば、鵜呑みにする危険性を察知できたはずなのにです。その結果がデッチ上げを信じたばかりでなく、今度はみずからが伝達者に変じるわけですから始末に困ります。

 相手の言い分だけで日本側のウラづけ調査をしないままに、この手のものに引っかかる国民は、世界広しといえども日本人ぐらいのものではないでしょうか。
 それも、多少は見る目があると世間から思われている作家、歴史学者などが、手もなく信じるのですから、単なるお人よしで済む話ではないでしょう。

1 山崎 豊子の『大地の子』


 はじめに作家の例をとりあげましょう。
 山崎 豊子といえば、日本を代表するベストセラー作家といってよいでしょう。しかも、よく調べて書くという評価もあるようです。
 月刊雑誌「文藝春秋」に連載され、後に単行本、文庫本となった『大地の子』(左写真は文庫本)は、NHKの連続ドラマになったこともあって、大ベストセラーになりました。
 大分前の話になりますが、「文藝春秋」連載の第1回を見たとたん、馬鹿くさくなって読む気がおこらず、その後、何回か連載誌をめくることはありましたが、読むに至りませんでした。

 読む気がしなくなったというのは、主人公とおぼしき日本人残留孤児・陸 一心の次の取り調べシーンをもって話が始まっていたからです。文化大革命の盛んな時代の話です。以下、「文藝春秋」から引用します。

 〈「お前に、われわれの苦しみをたっぷり味わわせてやる。陸一心、撫順の万人坑のことを知っているだろう」
 王大司令は、血走った眼で云った。造反派たちも、一心のまわりを取り囲んだ。どの顔も、中国人として育ち、中国の思想教育を受け、国家の生産に従事している陸一心を、同胞と見なさず、日本侵略軍に対するのと同じ憎悪を燃やしている。
「万人坑は、何のために掘られた」
「・・日本帝国主義者が、中国の苦力を酷使し、病気になって働けなくなると、その屍体を捨てるために・・」
 万人坑は、炭鉱で使役された苦力の屍体が何百、何千と投げ込まれた野ざらしの坑で、白骨化した骸骨の山を、今なお日本帝国主義への恨みを籠めて保存し、抗日思想の教材として、人民大衆に見学させている。〉

 まず、単純な事実誤認があります。撫順に万人坑の発掘現場は存在しません
 したがって、「白骨化した骸骨の山を、・・人民大衆に見学させている」という下りは明らかな間違いです。
 小説だからといって、こういう類の誤りはいただけません。膨大な数の読者は信じたに違いないからです。
 それとも、書き直したのでしょうか。私が本屋で立ち見した単行本、文庫本では直っていませんでしたが。

 それに、こういう事実もあります。
 「撫順に万人坑は存在しない」と、私が書いた論考のコピーとともに抗議した阿羅 健一に、山崎豊子は次のような返事(ハガキ)を送りました。

〈さて、万人坑についてですが、歴史的事実か否かは存じません。
しかし、中国での取材で、一九五〇年代、ハルピンの大学教授だった方から、
抗日運動の思想教育として万人坑を生徒を連れて見学に行ったご体験談を伺い、
また数多くの中国人取材協力者からも、政治学習で教えられたことを伺い、
文革中、小説の主人公が迫害される中で書きました。以上、取り急ぎのお返事まで〉


 それにしても、「歴史的事実か否かは存じません」という答えはないでしょうに。
 ずいぶんいい加減なことを書くものだと思います。また自分でも調べてみる、とは書いてありませんので、頭からこの教授や中国人取材協力者の説明を信じているのでしょう。
 こと万人坑に関するかぎり、山崎 豊子も本多勝一と同一レベル、中国に行っては用意された中国側の話をまるごと信じてくる、ただそれだけのことなのでしょう。

2 漫画家・水木 しげる


 次に、「ゲゲゲの鬼太郎」 などで子供たちに人気のある水木 しげるのマンガを見てみましょう。


 軍隊歴を持つ水木は「平和祈念集会」のような会合によく顔を出しているようで、電車内の広告で何度か見かけたことがあります。この夏(2006年)も名前のでている車内広告が目に入りました。

 上写真は、小学館発行の学年雑誌「小学六年生」(1991年2月号)掲載の〈シリーズまんが現代史「戦争と日本」〉からとったもので、原作・作画は水木しげる、解説は林 博史・関東学院大学助教授(当時)が書いています。
 林博史は左傾学者として知られ、後に琉球大学でしたか、沖縄で教鞭をとっています。
 「とにかく『人命軽視』の時代でやんした」と、人気キャラクターの「ビビビのねずみ男」に言わせ、つづいて、

 〈とくに中国の東北地方を占領し、そこに日本が満州国を誕生させると、〉
 ⇒〈 満州の人を奴隷のように扱い、〉
 ⇒〈 労働させたから、どんどん死んで死体をすてる穴、 〉
 ⇒〈「万人坑 」というのが各所にできたほどだった。〉

 と説明させています。
 一番下の万人坑の絵は、本多勝一の『中国の日本軍』(双樹社)に掲載されている大同炭鉱の写真のなかに、よく似たものがありますので、おそらくこれを下敷きにして書いたものと思います。

 結局、軍隊歴があろうとなかろうと、信じる人は信じるのでしょう。そして、このような事実を子どもたちにもつたえていかなければ、といった「使命感」がこの記述となったことでしょう。
 このようにして、子供の段階から過去の日本人がいかに残酷非道な行為を行ってきたか、その恥ずべき「歴史イメージ」が刷り込まれていくのです。

3 二人の僧侶


 重なる白骨の遺体現場を見れば、だれでも強い衝撃を受けることでしょう。次の2人の僧侶も衝撃を受け、次の行動につながっていきました。

(1) 大東 仁の場合
 「中国の旅」にでてきた「推定犠牲者17000人」 の万人坑(南満鉱業の虎石溝)の遺体発掘現場が、真宗大谷派の若い僧侶・大東 仁(1965年生まれ)にあたえた衝撃度を、自著『お寺の鐘は鳴らなかった ― 仏教の戦争責任を問う』(教育資料出版会、1994年)に記しています。
 図書館で必要ヵ所のコピーをとったのですが、行方不明のため、該当部分を小林よしのり、竹内義和共著『自虐でやんす』(幻冬舎文庫、1999年)から以下に引用します。

 〈大東氏は大学時代に『中国の旅』を読み、万人坑を見たい、いや見なければならない・・という思いにかられたという。理由は、戦争について書かれた本や写真を見ても、今ひとつ実感が湧かない からだという。
 知識として理解できても、反戦を唱えねばならぬという感情が湧いてこない。自分は頭が悪いのだろうか・・と悩み、頭が駄目なら心を使おう! 現地に行けば実感できるだろうと決心し、はるばる万人坑を見に行ったのだそうだ。〉

 〈中国に行った大東氏は、まず大石橋を訪れる。しかし万人坑の展示場は「中日友好」を理由に閉鎖されていた。そこを何とか、特別に開けてもらって見学する。

 南満鉱業の遺体発掘後に建設された記念館の中には、白骨が正方形のプールのようなところに整然と並べられていた。
 「日本人の多くに『万人坑』の事実を知ってもらいます」と、彼は白骨を前に写真を撮りまくる。縛られた白骨、石を抱かされた白骨、苦しみのポースをとる白骨、そんな白骨の数々を見ているうちに、心の中にこんな思いが込み上げてきた。

 「オレが悪い。オレが殺したんだ。どうしよう。オレが悪いんだ。どうしよう。オレは日本人なんだ」
 案内してくれた数人の中国人の顔を見回し、
 「みんなになんと声をかければよいのか。どうしよう。オレの責任なんだ」
 供えられた花輪には日本語で「弁解の言葉もありません。安らかに」と書いてあるのを見つけ、突然涙があふれだし、
 「オレが殺した。弁解の言葉などあるはずがない」
 そう繰り返しつつ、泣き続けたという。〉

 その後、平頂山事件の資料館、豊満ダムの万人坑を見学します。
 こうして帰国した大東は僧侶となって、「平和展」の開催など、独自の活動を展開しているといいます。
 これらの催しを見ていないのですが、たくさんの写真を撮ってきたことなどを考えれば、内容について大体の見当はつくでしょう。その活動ぶりは、ネット上で確認できます。

(2) 岩田 隆造の場合
 〈中国で「謝罪行脚」するヘンな「日本人僧侶」の正体〉というタイトルのもと、中国の大手新聞「新京報」によるとして、「週刊新潮」(2006年5月25日号)に、以下のような記事がありました。

 〈昨日午前9時、北京西駅に降りた岩田隆造氏は盧溝橋にやってきた。
 70歳という高齢の老人の体は痩せ、黄色い袈裟を身につけ、背負った二つの布袋には「謝罪」の二文字が書いてある。〉

 〈準備ができると老僧は履物を脱ぎ、衣服を整えて合掌し、両膝を地面につき、日本軍による中国侵略の証しである盧溝橋に向って4回叩頭した。
 それから太鼓を取り出し、それを打ち鳴らしながら経を唱えて祈り、儀式は全部で15分続いた。〉

 次に、抗日戦争記念館に場所を移すと、「侵略暴行展示コーナー」を訪れ、ここで28回叩頭したというのです。


 ある宗教ジャーナリストは、「彼は日本山妙法寺というお寺の僧侶です。ここは"仏教界の左翼" ともいわれ、反米軍基地、護憲運動で知られた存在。 ・・」と説明しています。

 在日中国大使館のホームページはこの謝罪行脚について詳しく紹介しています。2006年5月11日付けは、

〈 旧日本軍の犯罪行為謝罪の旅 日本人僧侶岩田氏、今回は吉林省へ〉


 との見出しで以下のとおり書いてありました。
 〈旧日本軍の中国での犯罪行為を謝罪する旅を続けている僧侶岩田隆造氏(70歳)が、・・日本の侵略で被害を受けた中国人民に謝罪するとともに、30日間の断食を行って、贖罪の気持を表明する。
・・8日午前10時過ぎ、「万人坑」と呼ばれる吉林省吉林市労工(労務者)記念館の遺骨ホールを訪れた岩田氏は、館内に陳列された白骨の前で、靴を脱いで跪き、焼香し、木魚をたたきながら約30分間に渡って読経を行った。〉

(注) カラー写真は同じ吉林省の遼原炭鉱(旧西安炭鉱)における謝罪の模様です。

 こうして作家も漫画家も僧侶も、デッチ上げ話を聞かされ、また展示館を見せられて事実と思い込み、今度は日本叩きに精出すのですから、中国にとっては思うツボ。なんとも情けない話です。

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