振り返り
無 策 と 沈 黙 の ツ ケ

― 米議会、対日非難決議を採択 ―
⇒ 朝日、記事取消しと釈明 1


1 米下院本会議で採択された「対日非難決議案」


 あの戦争が終わって60余年も経たというのに、またぞろ日本(人)の名誉を傷つけ、国益を害する出来事が起こりました。それもアメリカ下院を舞台にして、またも蒸し返された慰安婦問題にかかわる「対日非難決議案」です。
 この決議案を提出したマイク・ホンダ下院議員は、「河野官房長官の談話と安倍首相の謝罪 」を根拠に、慰安婦は「日本軍による強制的な性奴隷化」(2007年2月25日、フジテレビ報道番組)であると断定し、日本の謝罪、補償を要求しました。

(1) 「20世紀最大の人身売買の一つ」と非難
 2007年6月末、アメリカ下院外交委員会(トム・ラントス委員長)において、39対2という圧倒的多数で非難決議案が通り、つづく7月30日、下院本会議に上程、採択されました。
 外交委員会における決議案の内容は、

〈慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、
20世紀最大の人身売買の一つ〉

 と規定し、

 「現在の日本にはこの問題を軽視しようとする教科書もある。慰安婦問題で謝罪した1993年の河野洋平・内閣官房長官談話を否定する世論もある」等の認識を示し、その上で、

〈日本政府は現在および将来の世代に恐ろしい犯罪を伝え、
元慰安婦に対する国際社会の声に配慮すべきだ。〉


 とまで言い切り、説教まがいの注文までつけられてしまいました。
 決議案自体は法的拘束力を持たないとはいえ、決議案採択を画策した国内外の反日勢力や国家が存在するかぎり、この採択は何かにつけ利用され、将来にわたって大きな禍根を残すことになるでしょう。

(2) 「20世紀最大の人身売買」の中身
 では、日本軍による「20世紀最大の人身売買」の中身は具体的にどのようなものだったというのでしょうか。
 決議案採択に至った背景には、強制的に狩り集めた「20万人」の慰安婦たちが、「性奴隷」(sex slave)としてあつかわれた犠牲者であったという事実認識があります。
 まず、この決議案採択を主導したホンダ議員は、慰安婦制度について次のように書いていました(西岡 力、『よくわかる慰安婦問題』、草思社、2007年)。
 〈日本政府により強制された軍事売春である「慰安婦」制度は、その残酷さと規模の大きさにおいて前例のないものとみられるが、それは集団レイプ、強制堕胎、性的恥辱、性暴力を含み、結果として身体障害、死亡、最終的な自殺にまで追い込んだ。〉

 また、下院外交委員会のアジア太平洋小委員会の公聴会(採決前の2007年2月15日)で、議長役となったファレオマバエンガ代議員(民主党)が慰安婦について次のように語り、新聞でも報じられました。

〈この決議案は日本帝国の軍隊によるセックス奴隷 、つまり強制的売春の責任を
いま日本政府が公式に認めて、謝り、歴史的責任を受け入れることを求めている。
日本の軍隊が5万から20万の女性 を韓国、中国、台湾、フィリピン、インドネシアから
強制的に徴用し、将兵にセックスを提供させたことは歴史的な記録となっている。
 アメリカも人権侵害の行為をとってきたが、
日本のように軍の政策として強制的に若い女性たちを性の奴隷にしたことはない。〉
(古森 義久『主張せよ日本』、PHP研究所、2008年)


 日本軍将兵の慰みものにするために強制連行した慰安婦が5万〜20万人。彼女らを集団レイプなど「性の奴隷」としてあつかい、身体障害、死亡、また自殺にまで追い込んだというのですから、悪も極まった感じです。
 こうした慰安婦に対する認識は、2013年7月、グランデール市(カリフォルニア州)に建てられた慰安婦像の脇の説明文と、ほぼ同一内容であることが示すように、アメリカはもとより世界の共通認識にむかって進んでいます。

(3) 元はと言えば日本発
 ですが、このような慰安婦に関する事実認識の元はといえば、「強制的な状況の下での痛ましいものであった」として強制連行を認めた日本政府(河野談話 、1993年8月)であり、このような政府見解が出た背景には、終始、「強制連行」を事実と強弁した朝日新聞 の存在があり、またこれに追随したNHK をはじめとする大部分の報道機関が「強制連行」「強制連行」と大合唱をしたからに違いありません。
 また、「性奴隷」(sex slave)なる言葉は日本人弁護士・戸塚 悦郎の造語であり、国連にまで持ち込んだために広く使われるようになったのです。
 政府談話や報道を好機ととらえたホンダ議員と中国系反日団体の活動がより活発化、国連・人権委員会による調査報告(クマラスワミ報告書、1996年4月採択)に結びつき、やがて人間の所業とは思えない悪辣さを伴った「慰安婦強制連行」が認知され、「日本叩き」は国際的な広がりを見せたのでした。
 決議案採択を主導したホンダ議員(民主党、カリフォルニア州選出)は本会議採択直後の記者会見で、次のように述べたと報じられました。

「最初に在米の中国系反日団体への感謝を述べ、
同団体が長年にわたり慰安婦問題に関する同議員の日本非難の活動にとって
最大の推進力となってきたことを明言した。」

(2007年8月3日付け産経新聞)


(4) 中国系反日団体と日系3世ホンダ議員
 ホンダ議員が謝意を表した中国系反日団体というのは、1994年にカリフォルニア州で結成された世界的な反日組織 「世界抗日戦争史実維護連合会」 などを指し、これら在米反日団体は積極的に資金、情報などを同議員に提供してきました。
 両者は「票と金」とで持ちつ持たれつの関係にあるようです。ホンダ議員の選挙区(カリフォルニア州・第15区)はアジア系住民が多く(29%)、中国系住民は全体の9%とのことです。9%というほぼ確定した票はホンダ議員にとって魅力的でしょうし、さらに資金源としても重要な地位を占めます。
 2006年、ホンダ議員が個人から受けた政治献金は37万ドル(449人)で、うち中国系は11万ドル(94人)、率にして30%(21%)でした。一方、韓国系住民からの個人献金は7千ドル、人数はわずか10人でしたから、中国系がいかに突出した役割を果たしたかがよくわかります( 数字は古森義久『主張せよ日本』)。
 両者の利害が一致するかぎり、これから先も結びつきは一段と強くなって、米国内での「反日活動」を推し進めるのは間違いないでしょう。
 注意すべきは、今回の決議案が下院外交委員会、下院本会議に突如として提出されたものではないことです。すでに、カリフォルニア州議会で日本政府に謝罪、賠償を求める共同決議が採択されていたのです。
 同日付け産経新聞は、

「(抗日連合会の)幹部連は以降もホンダ氏が連邦議会下院選に出る際に政治献金などで全面支援し、
2001年から今回まで合計4回の慰安婦決議案提出でも
背後の推進力となったことを同様に地元マスコミなどに明かしてきた」


 とつたえています。

 ホンダ議員の選挙区に本部を置く 「抗日連合会」は、『レイプ オブ 南京』の宣伝、販売にも力を注いできました。
 下院外交委員会の採決時、委員の一人(ラントス委員長?)がこの『レイプ オブ 南京』を手にして壇上に上がる姿を、テレビが写し出していました。
 なお、ラントス委員長(民主党議員)はハンガリー出身、第2次大戦後にアメリカに帰化、ナチス・ドイツによるユダヤ人抹殺の生き残りとして知られているとのことです。

2 クマラスワミ報告書

(1) 「性奴隷」と定義づけた報告書
 慰安婦を指して、欧米のメディアや米政治家はしばしばsex slave と表現します。


 国連の人権委員会は1994年、ラディカ・クマラスワミ(スリランカ人)を「特別報告官」に任命、彼女は1995年7月18日から10日間、実地調査のため韓国、日本を訪れました(左写真は成田空港に到着した同女史)。米下院における決議案採択の12年も前のことでした。
 調査結果は「実行関与者を処罰せよ」などとした「戦時の軍事的性的奴隷制問題に関する北朝鮮、韓国、および日本への訪問調査報告書」(=クマラスワミ報告書)としてまとめられ、翌年4月、同委員会で採択されました。
 この報告書こそが国連・人権委員会の慰安婦問題に関する事実認識となったものであり、米下院の対日非難決議案の土台になったものです。
 お気づきのように、タイトルに「軍事的性的奴隷制」(military sexsual slavery)なる用語が使われており、また報告書の第1章(定義)で「慰安婦=性奴隷」とした認識を示していますから、欧米政治家やメディアが慰安婦を「性奴隷」と書くのは事実関係を別にすれば一応もっともといえるでしょう。それにメディア好みのセンセイショナルな表現でもありますし。
 さらに、国連人権委員会の下部組織である差別小委員会の「マクドゥーガル報告書」があります。1998年8月、同人権委員会で採択されたこの報告書はクマラスワミ報告書を下敷きにしたものでしたから、日本政府に「責任者の処罰と元慰安婦への損害賠償」を求めている点で軌を一にして当然でしょう。「マクドガル報告書」については後述します。
 クマラスワミ報告は元慰安婦の証言、文献、それに大学教授などこの問題に関する“有識者”からの聞き取りによって成立していますので、順に見ていきましょう。

(2) これが元慰安婦の“証 言”
 調査団が面接した元慰安婦は平壌で4人、ソウルで11人、東京で1人(在日朝鮮人)の合計14人でした。このうち、報告書に引用されているのは4人ですが、いずれも信じ難いというか馬鹿馬鹿しい話ばかりです。一例をあげます。
  「日本軍兵士による性的暴行と強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している」例として、聞き取り時、74歳であった元慰安婦、チョン・オクスンの証言を以下のごとく取り上げています(要約)。

〈私は1920年、朝鮮半島北部咸鏡南道に生れました。
13歳のときの6月、井戸に水汲みに行った帰り、一人の日本兵に襲われ連れて行かれました。
トラックで警察署につれこまれ、数人の警官に強姦されました。
私が叫ぶと彼らは私の口に靴下を押し込み、強姦しつづけました。
私が泣いたので署長に左眼をなぐられ失明してしまいました。
10日後にヘイサン市の日本軍兵舎につれて行かれました。そこには400人の若い朝鮮女性がいて、
性奴隷として毎日5000人以上の日本兵の相手をさせられました。1日に40人もです。
私は抗議すると殴られ、抵抗を止めるまで秘所にマッチ棒を押し込まれ血だらけになりました。
また、仲間の一人が1日40人もなぜサービスするのかと苦情を言うと、
ヤマモト中隊長の命令で兵は女の衣服をはぎとって手足を縛り、
釘のついた板の上を釘が血と肉で覆われるまで転がし、最後に首を斬り落しました。
別の日本人は食べ物がないからと泣いている少女に「この人肉を食わせてやれ」といいました。
あるとき私たち40人はトラックで遠くの水たまりに連れて行かれました。
水たまりは水と蛇でいっぱいでした。
兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、生き埋めにしました。
兵舎にいた少女の半数以上が殺されました。
2度逃亡しましたが捕まり、いっそうひどい拷問を受けました。
胸、腹などに入れ墨をされ、気絶しました。気がつくと死体として捨てられ、山の陰にいました。
山に住む50歳くらいの男が見つけ、衣服と食べものをくれました。
私は性奴隷として5年間働かされ、18歳のとき子供を産めない体で帰国しました。〉(第54項)


 こういった元慰安婦の「体験談」が、慰安婦制度の実態は「集団レイプ、強制堕胎、性的恥辱、性暴力」 だったとしたホンダ議員らの見解に大きな影響を与えたことは容易に読み取れるでしょう。また、こうした「体験談」を朝鮮人、中国人はもとより、日本人でも信じる人がいますから、多くの欧米人が信じても不思議はありません。
 日本軍が残虐非道な軍隊であり、その過去が糾弾されることは、人道に背く植民地運営、奴隷制度、原爆投下など、さまざまな過去を持つ欧米人にとって、むすろ好ましいことでしょう。
 この体験談が作り話である理由を秦 郁彦教授が次のように指摘しています。
 1920年生まれの元慰安婦、チョン・オクスンが日本軍兵舎に連行されたのは1933(昭和8)年のことになります。ですがこの当時、朝鮮半島は平時でしたから、遊郭はあったものの 軍専用の慰安所はなかったのです 。また、朝鮮半島の日本軍は1万人余程度で、咸鏡南道には1個連隊(約2千人)しかいなかったし、5000人も入る兵舎はありませんでした。
 にもかかわらず、無理やり連行された「400人の若い朝鮮人女性が性奴隷として、毎日5000人以上の日本兵の相手をさせられた」といった体験談が国連・人権委員会の公式報告書に載り、慰安婦制度に関する認識に決定的といえるほどの影響を及ぼした一方、これらに対して日本政府がこれといった抗議をせずに沈黙(静観)したことについて、毎度のこととはいえ、一日本人として実に腹立たしいかぎりです。

(3) 報告書は落第点・・秦郁彦教授
 次に報告書に反映された資料について、実情を紹介します。
 クマラスワミ報告書に2人の日本人学者が登場します。彼女の聴取を受けたのは秦 郁彦・千葉大学教授(当時)と吉見 明・中央大学教授(同)です。
 1995(平成7)年7月23日、クマラスワミ女史と白人の男女補佐官各1人と約1時間、説明と質疑に当たった秦教授は、「歪められた私の論旨」とした一文を文藝春秋(1996年5月号、左下写真)に掲載、クマラスワミ報告書がいかに杜撰なものかを明らかにしています。


 まず秦教授は、クマラスマミ報告書を、

「結論から言えば、この報告書は
欧米における一流大学の学生レポートなら
落第点をつけざるをえないレベルの
お粗末な作品である。」


 と酷評します。
 レポートを採点するときは、ます脚注を点検し、引用文献の数、参照した文献の質、必須文献で洩れたものがないか等の手順を踏むのが慣例とした上で、秦教授は、
 「この報告書では事実関係に関わる部分はすべてオーストラリア人ジャーナリストのG・ヒックスが1995年に刊行した『慰安婦』(The Comfort Women)という通俗書からの引用である。
 利用した参考文献がたった1冊だけとなれば、丸写しと判定されても仕方がないところだが、そのヒックス書にも問題が多い」
 と指摘、落第点をつけた理由の一つと説明しています。
 クワラスマミ特別報告官が事実関係を調べる上で、参考にした文献がたった1冊となれば、報告書の信頼性に疑義がでて当然のことでしょう。しかもヒックスの著作『慰安婦』について、秦教授は「非学術文献」と断じ、この文献に「全面依存した不注意責任は、問わねばならない」としてクマラスワミ報告官を批判しています。なお、ヒックスの本について、吉見 明教授も誤りが多いとしています。
 秦教授が「非学術文献」とした理由を簡単に記しますと、同書は36の参考文献をあげているものの(秦論文ナシ)、脚注がついていないため、どの文献に基づいて記述したかが分からない仕組みになっていること、また、ヒックスは日本語が読めないため、東京大学の高橋教授を通して在日韓国人のユミ・リー(女性)を紹介してもらい、彼女が日本の運動家たちから資料を集め(おそらく英訳もして)、ヒックスに送ったものだといい、ヒックス自身が「資料の80%は彼女に依存した」と書いていることなどをあげています。
 そしてこの書について、「初歩的な間違いと歪曲だらけで、救いようがないと感じた」とし、初歩的な間違いを具体的に指摘します。

(4) 正反対に書かれた報告書
 クマラスワミ調査官に面談した秦教授は、「その9ヶ月前に彼女がまとめた『予備報告書』を読んで、大体の傾向は承知していたので、慎重に」次の諸点を聴取に際して強調したといいます。

@ 慰安婦の「強制連行」について、日本側で唯一の証人とされる吉田 清治は「職業的詐話師」(professional liar)である。
A 暴力で連行されたと申し立てた慰安婦の証言で、客観的裏付けがとれたものは一例もない。
B 慰安婦の雇用契約関係は日本軍との間にではなく、業者(慰安所の経営者)との間で結ばれていた。

 ところが、報告書はBについて、「歴史家で千葉大学の秦郁彦博士は・・大多数の慰安婦は日本陸軍と契約を交わしており、平均的な兵士の月給(15〜20円)の110倍もの収入(1000〜2000円)を得ていたと信じている、と述べた」と書いてありました。これはBの説明と正反対の記述です。
 また、吉田 清治についても、彼は「職業的詐話師」と説明したにもかかわらず、同報告書は吉田の著書『私の戦争 朝鮮人強制連行』(下写真。三一書房、1983年)をベースにして次のように記しました。

 「元軍隊性的奴隷の証言は、募集の過程において広範に暴力及び強制手段が使われたことを語っている。さらに、吉田清治は戦時中の経験を記録した彼の手記の中で、国家総動員法の労務報国会の下で、1000人に及ぶ女性を慰安婦とするために行われた人狩り、とりわけ朝鮮人に対するものに参加したことを認めた。〉(第29項)

  みずから1000人強制連行(慰安婦狩り)に参加したとする吉田清治の証言が作り話で話であったことは、秦教授の現地調査(韓国・済州島)で証明され、後に吉田自身も認めていることです。なお、吉田はクマラスマミ報告官の聴取を断っています。
 この吉田清治を「良心的な証言者」とばかりに持ち上げた朝日新聞、無批判に追随したテレビ、また彼を英雄視した運動家などによって、慰安婦=強制連行説が日本、韓国はもちろん欧米においても大手を振るって歩きだしたのでした。ですから、吉田の偽証が慰安婦強制連行説の原点とも言えるものなのです。
 さらにつけ加えれば、偽証が判明したにもかかわらず、この事実を朝日新聞 はもちろん、慰安婦報道に入れ込んだNHKなど、産経新聞を除くどの報道機関もニュースとして取り上げることはなかったのです。

(5) マクドゥーガル報告書・・慰安婦14万2千人が殺害された
 クマラスワミ報告書が国連人権委員会で採択されたのが1996(平成8)年4月、そしてアフリカ系アメリカ人(女性)であるゲイ・マクドゥーガルの手になる報告書(マクドゥーガル報告書)が同委員会で採択されたのは1998年8月ですから、慰安婦問題に関する人権委員会の2番目の採択にあたります。
 報告書の本文は旧ユーゴスラビアのコソボ問題、アフリカのルワンダ虐殺などで、慰安婦問題は付属文書(約50ページ)に記されました。当然、クマラスワミ報告の影響を受けたでしょうから、日本政府に「責任者の処罰と元慰安婦への損害賠償」を求めたのは当然のことというべきでしょう。報告書の冒頭、

〈1932年から第2次世界大戦の終わりまでの間、
日本国政府および日本帝国軍隊は20万人を超える女性
アジア全体で存在した強姦所において性的奴隷とした。〉


 と記してあり、慰安所を「レイプセンター」(rape center) と表現、この言葉は15ヵ所もでてきます。そして、「20万人以上の慰安婦のうち25%が生き延びた」とも記されています。
 となれば75%程度が死亡したことになりますから、実に15万人が殺害された計算になります。1999(平成11)年6月2日、来日したマクドゥーガル女史の講演会が日弁連主催で行われましたが、彼女は「14万2000人の慰安婦が殺害された」と発言しています。

(6) 慰安婦数20万人以上・・あれもこれも怪しげな根拠
 ですが、慰安婦20万人以上、殺害された慰安婦14万2000人とする根拠は実に怪しげなものなのです。
 まず慰安婦数ですが、平凡社大百科事典が「8万〜20万人」と記すなど、この数が定説なのかと思ってしまいます。ところがこの数の出所となると、1969(昭和44)年のソウル新聞に載ったものなのです。
 千田 夏光(元毎日新聞記者)がこのソウル新聞記事を読み、これが20万人説の広まるもとになったと思われます。千田は日本人で誰よりもはやく慰安婦問題に焦点をあて、「従軍慰安婦」という造語を書名にした『従軍慰安婦』(双葉社⇒ 三一書房、1973年)を著しました。
 千田夏光は対談相手の秦 郁彦に「20万人以上」としたことを問われ、


「ええ、出所は不明です。ただ、私も新聞記者あがりなもんですから、
ちゃんとした新聞が書いた数字ですから、ほぼ信用したわけです。」
朝日新聞社発行月刊誌「論座」、1999年9月号


 と発言しています。つまり、平凡社の百科事典の記述もこの程度の根拠しかないのです。
 ですが、一度、慰安婦数を「8万とも20万人ともいわれる」と朝日新聞が報じると、この数が広く浸透するようになったのでした。
(注1) 一流出版社の百科事典がそんな薄弱な根拠で書くはずがないと思う方も多いに違いありません。ですが、この種の例ならたくさんあります。一例をあげれば、本多勝一の「中国の旅」を引き合いにして、南京大虐殺30万人をはじめ、万人坑、三光作戦などを取り上げた百科事典(複数)を指摘することができます。
(注2) 秦郁彦教授の研究によれば、1942(昭和17)年9月頃の慰安所数は400ヵ所(中国280、南方100、南海10、樺太10ヵ所。金原 節三・陸軍省医事課長の日記)で、1ヵ所当たりの慰安婦数が10〜20人だったことなどから、総数を約6000人と推定、この後、倍増したとしても1万人を超える程度だとしています。

 次に14万2000人殺害についてですが、衆議院議員(自民党、運輸大臣歴任)であった荒船 清十郎が、日韓条約交渉時の1965(昭和40)年1月、後援会で酒を飲みながら発言したことが元になっているようです。
 発言の要点は、「韓国側では14万2000人の慰安婦が日本兵にやり殺されたとして、15億ドルよこせといっているけれども、だんだん要求を下げてきて、今は3億ドルぐらいの話になっている」というものでした。
 荒船議員といえば、よく言えば親分肌とでもいうのでしょうか、知性の点で疑問のある典型的自民党議員、しばしば雑な放言が批判の対象になったものです。地元(埼玉県)の駅に特急列車を停車させようと国鉄に圧力をかけ、批判されるにおよんで、私の記憶ですが「一駅ぐらい停めたっていいじゃないか」と堂々と言って退けたものです。
 荒船放言は単に韓国がこう言っているという話なのに、いつのまにか「日本の大臣の調査結果」となってしまいました。そして、日本人のどこかの運動組織をとおして、国連筋に流されたという見方が、おそらく的を射ているのでしょう。
 クマラスワミ報告書を好意的に取り上げたのは、例によって朝日、毎日であり、マクドゥーガル報告にいたっては日弁連もまた後押しをしたのでした。

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