第13連隊歩兵砲小隊曹長
「手記」全 文


    続々敗残兵が出てきました
 昭和12年12月16日 0800頃(注 午前8時頃)、進路右方200メートルの村落に、とても長い竹竿(たけざお)に白布をつけた物を盛んに打ち振っているのが目につきました。
 遠くてよく分かりませんが、随分人がおる模様です。
 それは南京を落として間もなく、我が部隊が入城にも参加せず、蕪湖に向い前進している時であります。
 そしてその設営隊の最後尾を、設営者として前進していたのであります。
 そのときは付近一帯の民衆からは無数の白旗を振り出していました。
 「 敗残兵だ、撃て 」
 と言い出した者もありましたが、撃たせませんでした。
 最初50名の1団が恐る恐る近寄ってきましたが、皆、正規兵です。武器といっても帯剣も持っていません。
 設営隊長に遽伝(きょでん)を送りましたが、なかなか止まらず、もう千メートルも先を前進しております。
 仕方なく近寄った者を取り調べて見ましたが、それといっても、ただ兵器の有無を調べるだけです。その内に速射砲と野砲の設営者も加わって、20名余りになったので力を得ました。最初に近寄った者は何も危害を加えぬことを知って、部落の方に向かって何か大声で叫んでいました。
 すると見る間に5、60名の集団が続々近づいて、瞬く間に数百を数えるようになりました。
 敗残兵は、
 「 2日も食わずに動けない」
 と言っていました。
 それでも少なくとも500名は下りません。
 烏合の衆でも相手が余りに多く、まして重火器部隊の者もいるので、小銃を全然持っておりません。
 その内、設営隊長より、
 「 自転車を持っている者は本隊到着まで監視しておれ 」
 と言ってきましたが、誰も残る者はありません。
 仕方なく集合せしめただけ連行しましたが、設営隊に追及するまでにまた100名位は加わりました。
 1100(午前11時)、江寧鎮に到着しました。
 途中飛行場に20名位渡しました。
 それに各隊の設営者が使役に使い、未だ202名も残っていました。
 各隊とも必要なだけ連行した上だけに、後はお構いなしです。他部隊でも約100名位使っていたので、もう充分なのです。止むを得ず松井上等兵に監視を命じました。
 そして宿舎の設備の終わる頃、
 「 自分は何でもするから使ってくれ 」
 と地面に頭をすりつけて哀願する者もおりましたが、この202名を旅団に引き渡しました。 (以 上)
 

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