―嬉々として報じるわがメディア―
中国人の慰安婦問題は朝鮮人慰安婦問題にくらべて話題にのぼることが少なかったといってよいでしょう。朝鮮人慰安婦の方に目が奪われたこともあるでしょうが、日本側からの「加害証言」がでなかったことも一因と思います。
韓国・済州島で200名もの若い女性を強制連行したなどとする吉田清治証言が「偽 証」と立証された時点(1992年5月頃)で、慰安婦強制連行を証拠だてるものはなくなったはずでした。
ところが、1998年4月、師団長という陸軍最高位の指揮官から慰安婦狩りを認めた「物的証拠」(朝日記者)が出たというのです。
「待ってました」とばかり、われらがメディアの大報道になりました。
「物的証拠」というのは、戦犯として中国に抑留された約1000人のうち、裁判で有罪となった45人の「自筆供述書」のことで、このコピーをフォトジャーナリスト・新井 利男が中国から入手、朝日と共同通信社に持ち込んだのでした。
このため、朝日は大報道、共同通信加盟の各社もそれぞれ記事にしたという次第です。
「慰安婦狩り」を供述した師団長というのは、鈴木 啓久(すずき・ひらく)・第117師団長(中将)でした。
この「供述書」には虐殺、慰安婦狩り、毒ガス作戦など新聞社が喜びそうな記述で溢れていましたので、朝日はもとより共同通信社に加盟する地方紙の多くが飛びつくことになりました。
この項は「慰安婦狩り」だけを取りあげますが、慰安婦狩りの証言者は45人のうち、鈴木中将ただ一人と思われます。
・ 福島民友の報道
一例をご覧にいれましょう。下画像は「福島民友」の紙面(1998年4月5日付)です。
ご覧のように、〈「慰安婦連行」軍の命令〉と白抜きの大見出し、その下に〈侵略の全体像浮き彫り〉、タテには〈旧軍の中将が認める〉とあります。
見出しを読んだだけで、慰安婦強制連行が疑う余地がないものと受け取れます。
記事を見れば、「高級将校が慰安所の設置や連行を認めた93年8月の政府調査に関する官房長官談話をあらためて裏付けた形になった」とありますから、強制連行は議論の余地のない既定事実だというのでしょう。
1993(平成5)年8月の官房長官談話というのは、確かな証拠もないままに、政治的要請から強制連行を認めてしまった河野洋平・内閣官房長官の談話を指しています。
日本の各地でこうした報道が行われ、日本軍への「悪のイメージ」が積み重なっていくのですから、「異論」など日本人の頭に入る余地はありません。これは慰安婦問題にかぎった話ではありませんが。
2014年7月、戦後70周年に狙いを定めたのでしょう、中国は45人分の「自筆供述書」ネット上に公開しました。テレビ朝日は早速、鈴木中将の供述書のなかから、次に引用する「誘拐」などとした部分を画面に映しながら、「強制連行」 と報じました。
・ 「供述書」の慰安婦記述
鈴木師団長の「供述書」の「慰安婦狩り」記述は次の3ヵ所にでてきます。いずれも短いものですので全文紹介します。
〈私は巣県に於て慰安所を設置することを副官堀尾少佐に命令して之を設置せしめ、
中国人民及朝鮮人民婦女20名を誘拐して、慰安婦となさしめたのであります。〉
〈日本侵略軍の蟠居する所に私は各所(豊潤、砂河鎮其他二、三)に慰安所を設置することを命令し、
中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其婦女の数は約60名であります。〉
〈日本侵略軍の蟠居地には私はいわゆる慰安所の設置を命じ、
中国並に朝鮮人民の婦女を誘拐して所謂慰安婦となしたのでありまして、其の婦女の数は約60名であります。〉
最初の記述は歩兵67連隊長時代(大佐)のもので、2番目は27師団の隷下にあった第27歩兵団長時代(少将)、後者の供述は第117師団長時代(中将)のものです。
鈴木中将は帰国後に長文の「手記」2編を書き残しました。このなかに慰安婦についての言及はありません。
ですから、ことの真偽を中将に確かめることはできませんが、当時の関係者は真っ向から否定しています。
(注) 今まで、慰安婦狩り記述を2ヵ所としましたが、私の見落としで正しくは3ヵ所です。最初の67連隊長時代の分が抜けていました。記述を加え訂正いたします。
・ 2人の副官以下、全面否定
鈴木歩兵団長の副官経験者2人を含む約20人、師団長時代は副官1人を含む数人に聞いたところ、全面否定でした。
27歩兵団の傘下にあった支那駐屯歩兵1連隊の内海 通勝・戦友会会長は、「軍が慰安婦狩りなどやるわけないよ」と穏やかな調子で話します。
実際に聞いてみればわかることなのですが、誰にきいても同じような答えが返ってきます。外地での従軍経験がある程度あれば、「その話は変だ、おかしい」くらいは肌で感じられるのだと思います。
左画像(1997年3月23日付け産経新聞)はビルマで従軍経験のある作家・古山 高麗雄 の話として、「慰安婦狩り あり得ない」「最近の議論には違和感」とあります。
古山は、「自分の知っているのは南方の慰安所だけで、他の慰安所については知らないが」と断り、
〈一部の不良兵士がレイプ事件を起こしたことはあるし、
業者が軍の意向に沿って動いていた側面も確かにあるだろうが、
軍隊が組織をあげて「慰安婦狩り」のようなことをすることはあり得ない。〉
と話しています。自らの軍隊経験に照らして、肌で感じたことをそのまま述べたものに違いありません。
高級副官が空席であったあったため、次級副官として鈴木歩兵団長に仕えた炭江 秀朗 は、
〈昭和17(1942)年4月から副官であったので、
冀東作戦(きとうさくせん)はすべて作戦命令に目を通してきた。
歩兵団長の意向を受けて作戦命令を起案、裁可を得る。
副官の側印がなければ作戦命令は出せない。
だから、慰安婦狩りが事実なら知らないわけがない。〉
と明確に否定しました。
また、鈴木が師団長時代の副官・森 友衛も「聞いたことがない」といい、「師団長の人柄からしてあり得ない」と話します。
師団長は「古武士風」「謹厳実直」、酒、タバコに縁がなく、朝や時間のあるときは習字や読書で過ごすことが多かったといいます。
この報道を読まされた読者は、裏づけのとれた間違いのない報道と受けとったはずです。ですが、裏づけ調査をしなかったことは明らかです。
先入観とは恐ろしいものだと思います。吉田清治の「虚偽証言」、日本政府
が「慰安婦強制連行」を認めた河野談話とつづけば、この「慰安婦狩り」もフリーパス、ひたすら日本軍断罪に向けてひた走ります。事実関係などそっちのけにして 。
その報道を国民が無批判で受け入れ、糾弾の声が広がっていく、といった風ですから、救いようがないのかもしれません。
・ 全面肯定する大学教授
そして、明らかになった45人の「供述書」記述は全面的に信頼できるとする藤原 彰・元一橋大学教授の論考から、一部を書き出します。
〈毒ガスの使用、細菌戦の準備と実行、慰安所の設置と「慰安婦」の強制連行などが、
軍による組織的行為として行われていたことも明らかにされている。
これらのことが、高級幹部自身によって自白されており、しかも相互に関連性をもっていることは、
現在の戦争責任問題にとってもきわめて有力な史料ということができる。〉
2015年に入ると、中国はにわかに中国人の慰安婦問題に力を入れ始めました。私たちは厄介な問題をまた一つ抱えこむことになったわけです。
その一端を知るために、「人民網日本語版」を検索のうえ、特集〈慰安婦 日本軍性奴隷文書選〉 および〈中国侵略日本人戦犯供述書選〉の双方をご覧になってください(2015年11月3日確認)。
前者には、〈文献テレフィルム 「日本軍『慰安婦』当案」〉という英語のナレイションと英語字幕のついた15分ほどの動画が紹介されています。動画は ⇒ こちらへ。
この動画に中国人慰安婦強制連行を認めた日本人2人が登場します。
一人は供述書を残した鈴木師団長、もう一人は同じ中国戦犯であった絵鳩 毅の証言映像です。
絵鳩証言は聞いた話、つまり伝聞だとは言っていますが、この話、やはり中国戦犯であった榎本 正代の若い中国人女性を慰み者にしたあげく殺害、その肉を中隊全員で食ったという証言なのです。
この榎本証言については調査済みで、その要点は⇒こちらに報告してあります。
「文献フィルム」と言いますが、強制連行を支える証言がいずれも事実無根であることがわかるはずです。ですが、この動画、アメリカなど英語圏を中心に流され、研究者を中心に影響を与えたかも知れません。
日中間の歴史問題は政治と深くかかわっていますから、今(2022年)は落ち着いているように見えても、風向き次第でいつ一変してもおかしくありません。それだけに、事実関係を確定するべく努力が必要と思いますが、失礼ながらわが政府は「休眠状態」にあって期待すべくもありません。どうしたものやら。