朝日への抗議と回答

― ぜひ、関心を ―
⇒ 検証・大同炭鉱


 朝日・本多 勝一記者は私の調査報告を「かなしい調査結果」だとくさすだけで、本多はもちろん、朝日新聞社も加害者側つまり日本側を調べようとはしませんでした。
 加害者と名指された南満鉱業の社友会、撫順炭鉱の社友会から文書をもって朝日新聞・編集局長あてに抗議文が送られています。もちろん、社友会代表の名前、住所が明記されていました。

 それでも、本多も朝日新聞社も「突っ込んだ取材」(後 述)どころか、取材の申し入れさえしなかったのです。当初は勢いよく相手をなじり、ときに脅すのですが、形勢不利になると無視するのが本多流、朝日新聞流なのです。
 もっとも、ウッカリ調べようものならデッチ上げだとする証言、状況証拠がぞくぞくと出てきてしまいます。そうなったら責任問題が浮上し、処置に窮するでしょうから、「超多忙」などと理屈をつけては調査を避けてきたのに違いありません。そしてこの逃げは2019年の今日までつづいているのです。


 朝日以外の報道機関だって事情は似たようなもので、死屍累々の万人坑をタネに日本人をさんざん叩いたくせに、あれらはデッチ上げだと指摘されたにもかかわらず、中国に多数の駐在員を置きながら現地取材をしようとはせず、したがって報道もありません。
 もっとも、取材をしたものの思わしい結論が得られなかったため、報じなかったとも考えられますが。
 ですから、遺骨展示館の急増にともない、中国の主張を信じる人は学者を含め少なくないと思われますし、今後も信じる人が増えつづけるのは間違いないものと思います。

 NHKだって同じです。たしかに、NHKによる万人坑報道はなかった思います。
 しかし、平頂山事件を放送するためにわざわざ撫順にまで出向いて調査をしながら、30ヵ所もあるという撫順炭鉱の万人坑については何の調査もしなかったのでしょうか(放送はありませんでした)。

 いまさら指摘するのも芸のない話ですが、NHKもまた日本軍民の旧悪追求に熱心であっても、中国のご機嫌を損ねるような事実究明に取り組むはずはありませんし、報道するなど期待できないことです。
 そのうちに日本の学者先生によって万人坑は認知され、我が国の歴史教科書に復活する可能性もあると思います。こう考えるのもそれなりの根拠がありますので、後述する「4 監視のお願い」をお読みになって下さい。

1 朝日への抗議


(1) 南満鉱業の場合
 「中国の旅」連載直後、原田 元俊元専務、現場の最高責任者だった橋口 平八郎、元採鉱課長の2人が朝日新聞社を訪れ、万人坑などというものは存在しなかった、また工人(こうじん、労働者の意)の酷使も事実無根と抗議したものの、玄関払いも同然のあつかいを受けたことは既述いたしました。
 この抗議の話は2人と抗議の相談をした本田 秀雄(故人)から直接、聞いた確かな話です。

 1990(平成2)年9月号の月刊誌「正論」に、「中国の旅」で報じられた撫順炭鉱、南満鉱業の双方に万人坑は存在せず、事実無根であるとの調査結果を私は書きました。
 これに対し、本多記者から「この種のかなしい"調査結果"」 と私をくさす一文が翌月号に寄せられました。
 自らは何も調べず、相手をくさす、罵声を浴びせる、ときには裁判をちらつかせて恫喝する、これが本多 勝一朝日記者の「常套手段」なのです。

 この一文に対し、南満鉱業の社友会有志5人が「正論」誌の座談会に出席、「私たちは万人坑など知らない」というタイトルのもと、見たこともなければ、聞いたこともないと全面否定しました(これも既述)。

 南満鉱業の万人坑については、話は簡単なのです。
 先に記したように、ここで採掘していたのは石炭ではなく、溶鉱炉などの炉壁に使う耐火レンガの原料・マグネサイト鉱石だったのです。しかも、坑内掘りは1ヵ所もなくすべてが露天掘りでした。
 ということは、採石中に起こる一酸化炭素中毒や炭塵による爆発事故は皆無、また坑内掘りゆえに起こる天井や側壁が崩れ落ちる落盤事故はなく、また狭さゆえに起こる炭車など坑内車との接触事故なども、極端に少なくなります。
 ですから、人身事故などめったに起こらないのです。

 途中経過は省きますが、南満鉱業社友会の世話役・本田 秀雄は、社友会にはかったうえ、全会一致をもって、朝日新聞社の編集局長あてに回答を要求する抗議の文書(1991年4月28日付)を送りました。
 「万人坑報道は晴天の霹靂であり、万人坑なるものは存在せず、労働者の酷使も全面否定する 」等と記し、単行本、文庫本『中国の旅』の絶版、回収、それに謝罪を要求しまっした。
 そして以下のように記して、報道の根拠を質(ただ)したのでした。

〈もし、要求が受け入れられないとすれば、
「万人坑」報道に誤まりがなかったという見解になるかと思われます。
この場合、その根拠をお示しください。
また、日本側のどこを調査し、そのような結論に達したかも合わせてご回答ください。〉


 この問いに、当然のことでしょうが朝日新聞社は何も答えられなかったのです。

(2) 撫 順 炭 鉱 の 場 合
 炭鉱職員、撫順に居住した民間人などで組織する「東京撫順会」の会長・庵谷 磐 (元中国残留孤児問題全国協議会会長、2012年1月没) が、1990(平成2)年12月に朝日新聞社を訪れ、全会員(1千名)に対する調査結果を含む20余ページの資料を提出し、次の申し入れを文書で行いました。

〈「中国の旅」所載の「撫順炭鉱」ならびに同炭鉱関係の「防疫惨殺事件」「万人坑」は作り話、
あるいは著しく事実と相違したものを、あたかも事実であるかのよう記述したのは誤りであったこと。
したがってその記述全部を取り消す旨、朝日新聞に公告すること。
・・現在販売中の「中国の旅」単行本、文庫本はこれを回収すること。
もし、刊行を続けるのであれば、撫順炭鉱ならびに上記両事件に関する記述を削除すること・・〉


 朝日は申し入れに、どう答えたのでしょう。

2 その場しのぎの朝日回答


 撫順炭鉱と南満鉱業に送られた回答はほぼ同一内容ですので、南満鉱業への「回答」(下写真)をご覧にいれます。
 回答者は朝日新聞東京本社読者広報室長・香月 浩之、回答の主要部分は次のとおりです。


〈「中国の旅」を執筆した編集委員本多勝一が長期の海外出張中だったため、ご返事が遅くなり、申し訳ありません。
 本多の帰国後、さっそく協議いたしましたので、お答えします。
 万人坑の記述を含め「中国の旅」の内容は、戦前、日本が中国で行ったことについて、中国側がどう見ているかを紹介したもので、中国側が紹介した被害者などの証言が中心になっています。
 ただ、日本側関係者の資料あるいは反証があれば、出来るだけ突き合わせてみるため、連載記事などで「事件に関係した方々の証言を歓迎します」と呼び掛けてまいりました。
 いまのところ、「万人坑」について、中国側の被害者の証言を具体的にくつがえすにたるだけの確固たる証言などは得られておりません
 したがいまして、現時点ではお答えできません。
 なお、本多は「万人坑」など当時の聞き書きについて、こんどは「旅」ではなく、改めて精密な現地取材 をすることを考えております。 〉


 こういう白々しい無責任回答も珍しいのではないでしょうか。
 朝日新聞社のいう中国側の証言をくつがえすにたる「確固たる証言」とはどのようなものをいうのか、教えて欲しいものです。
 加害者とされた日本側の「証 言」 は山ほどあるし、現に朝日側に提示したはずです。また、「万人坑、存在せず」 を裏づける状況証拠も山ほどあります。
 なのに、「万人坑」 が事実とした根拠は何かと問われて、「現時点ではお答えできません」 として逃げています。もっとも答えられるわけがありません。日本側の取材を一切していないし、取材から逃げ回っているのです。

 ですから、「現時点」 はおろか「将来」 にわたって「お答えできません」「お答えする気もありません」になります。
 それに、「改めて精密な現地取材」をするというのですから、バカも休み休み言えといいたい。中国側をこれ以上取材して何が分かるというのでしょう。日本側の取材が当たり前ではないですか。
 本多記者は、1996年発行の『近現代史の真実は何か』(大月書店)にこうも書きました。

〈もし、大石橋の万人坑が完全な捏造だとする証明ができたならば、
私は“ 特ダネ ”としてニュース記事にするでしょう。
去年(1995年) の春ここを再訪する機会があって、
墓地だなどということはできない思いをあらたにしましたが、
これについてはさらに突っ込んだ取材をする予定です。
しかしそれは田辺氏や藤岡氏の主張に「反論」 や 「反批判」 をするためでは全然なく、
南京大虐殺の場合と同様、万人坑についての確かな事実関係を洗うため、
ジャーナリストとしてはそれだけです。〉


 もっともそうなことを書きながら、本多勝一記者は公言通り、「確かな事実を洗うため」 にジャーナリストとして 「突っ込んだ取材」 をしたのでしょうか。
 もちろん、何もしやしません。いつもこうなのです。
 このように、言を左右に日本側の取材を避ける理由は簡単です。間違いが分かると都合が悪いからなのです。ウッカリ取材でもして誤りを認めざるをえない事態になったとき、本多記者はもちろん、編集局長、経営陣の責任問題にまで発展するでしょうし、事実を知った読者の多くは購読を打ち切ることでしょう。

 また、「事件に関係した方々の証言を呼び掛けてまいりました 」 と言いながら、呼びかけに応じた関係者に、「中国側の代弁をしただけだから、抗議するのなら中国に直接やってくれ 」 と冷たく言い放ったことと考え合わせてください。ほかにどのような理由が考えられるというのでしょう。
 要するに、中国が「あれらはウソでした」と認めないかぎり、つまり半永久的に朝日はこう言い張るつもりなのです。そうして立ち消えになるのを待つ、いつものやり方です。その場しのぎの言をつづけながら、すでに50年がたちました。

3 これが本物の万人坑・貧民義地


 万人坑の存在は中国では珍しくなかったようです。


 1075年に中国で発行された『甲申雑記』のなかに、「多数の屍骸を合葬する墓、罪囚を埋めた墳墓」の意で記述が見られますし、近いところでは「満州国警務総局保安局」が残した『魔窟・大観園の解剖 』 にも記述があり、写真も残されています(左写真。原書房の同名の復刻本から)。

 「大観園」というのは、ハルピン郊外にある下層社会地区、傳家甸(フジャデン)の中心をなす有名な歓楽街なのだそうです。
 歓楽街というと聞こえはいいのですが、阿片、売春、賭博など悪の巣窟で、上記本は1941(昭和16)年頃の記録です。20枚ほどの写真があり、「街頭の屍」「木賃宿から放り投げられた屍」と説明のついたものもあります。
 上の写真は「貧民義地」と称した共同墓地で、以下のように説明されています。

〈正しくは市立大有坊貧民義地と云ふ。
この貧民義地の端に萬人坑の大穴があり、
次々に乾枯らびた屍が素裸のままで抛りこまれる。
哈爾賓(ハルビン)市中一ヶ年の斯る屍の数は大約四千である。〉


 ハルピン市だけで1年に約4000人なら10年で4万人、30年で12万人にのぼる勘定です。このような行き倒れ死体を埋める「貧民義地」はハルビンで3ヵ所あったと書かれています。別の書物にも奉天の万人坑記述があります。

 捨てられた死体は市によって集積された頃、
〈市公署の衛生自動車が来て、是等を拾い歩くのである。衛生夫は丁度(ちょうど)魚屋が魚を勘定する時に用いるような大きな鈎(かぎ)を持っていて、死体の首に引懸けて大きな乾鱈(ひだら)でも引きずるようにして、自動車に積み上る。不愉快そうである。と云うのは死体が赤裸で、一物をも衛生夫達のために身につけていて呉れないからである。〉
 とぼ説明があります。

 この光景は、撫順炭鉱の技術者として終戦まで勤務した塚本 均が私に書き送ってくれた撫順の「満人街」を目撃した描写とソックリでした。
 氏は2002年にも、「撫順炭鉱に万人坑など絶対になかった。 同僚もだんだん少なくなってきている。後をよろしくお願いしたい」との手紙とともに、あらためて当時の状況を書き送ってくれました。
 

4 関心をもって欲しい


 万人坑問題は忘れられたのでしょう、2015年現在、国内で表立って取り上げられることもなくなりました。日本の歴史教科書からは消えたことですし、このままで済めばいいのですが、そう期待するのは大甘だと私は思います。
 近い将来、復活する可能性は大きいと思い、以下にその理由を記し、心ある方々に関心を持っていただきたいと思います。


お 願 い

 中国国家主席であった江沢民が、1995(平成7)年5月、ロシア政府主催・第2次世界大戦終結50周年の記念式典の演説で、日本軍による中国人民の人的損害が「死傷者3500万人」 だったと突如、宣言しました。

 この数字は、日中平和友好条約20周年にあたる1998年に江沢民が国賓として来日したさいにも、早稲田大学における講演で死傷者3500万人、「経済損失6500億ドル」 とも公言しました。  これに対して、政府も主要な政治家も異論をさしはさむでもなく、ただ黙過しただけです。

(1) 死傷者3500万人の根拠に
 今は廃刊あるいは休刊かの理由で発行されていませんが、「外交フォーラム」という月刊誌がありました。この雑誌は外務省の事実上の広報誌といわれ、廃刊(休刊)を惜しむ声も出たものです。
 その臨時増刊号『中 国』(左写真、1997年3月)に、次の論考が掲載されました。

 論者は石井 明 東大教授で、「戦後日中関係の軌跡 ― 田中角栄首相訪中への道」という表題のなか、次の文が出てきます。まずは、ご一読ください。

〈 筆者はこの数字がどのような調査を経て出されたのか知りたいと思っていたが、同年8月、人民大学などが主催した中国抗日戦争勝利50周年記念国際学術討論会に出席した際、この調査に加わった軍事科学院軍事歴史研究部の責任者から話を聞くことができた。
 それによると、軍事科学院が日中戦争中の中国軍民死傷者数の調査を始めたのが88年。近年、東北では60近い「万人坑」が見つかった。こうした新しいデータを加えて検討した結果、死傷者数3500万人という結論に達し、中央にこの数字を採用するよう提案した。
 同責任者はこの数字は31年から45年まで、すなわち満州事変から日本の降伏までの15年間の死傷者数であることを確認した。〉

 調査開始が1988(昭和63)年で、満州(現在の中国東北部)で60近い万人坑が見つかったとし、こうした新しいデータを加えて検討したところ、死傷者3500万人になったというのです。

 「60近い万人坑」について、それなら1つを1万人と換算しても60万人程度ではと思うかもしれませんが、多分、その解釈、違うと思います。
 万人坑は、日本人が経営する鉱山や大規模な工事現場では必ず出来たというのが中国の解釈ですから、60ヵ所の意味は60事業所ということになるのだろうと思います。

 つまり、撫順炭鉱という1事業所に30ヵ所の万人坑があったという点から考えて、1事業所平均5ヵ所と勘定すれば300ヵ所、つまり300万人という膨大な犠牲者となってしまいます。
 これは突拍子のない想定ではありません。現に大同炭鉱の現地遺骨展示館に犠牲者6万人、20ヵ所の万人坑があると記されています。

 ところが、最新の研究の結果、犠牲者が15万5000人に跳ね上がったのでした (⇒ 大同炭鉱へ)。この“研究成果”は在日中国大使館のホームーページでも公表されました。

(2) 次々に建つ展示館
 というような次第で、「死傷者3500万人」の裏づけのため、万人坑について“研 究”が進められているはずです。現に、私の調査した事業所以外のあちこちで、遺骨を展示する規模の大きい「記念館」が次々に建っているのは間違いないと思われます。
 「万人坑」を検索すれば、弓長嶺鉄鉱万人坑、本渓湖炭鉱万人坑 北票炭鉱万人坑 石人血泪山万人坑 などなどが写真入りで出てきます。

 おそらく、まだ増えるでしょう。死傷者3500万人を証拠だてるのに十分な「鉄 証」になったと彼らが確信できるまで、記念館の建設をつづけることでしょう。それに「中国人民の教育」に活用できることですから。
 彼ら中国人がわれわれ日本人とまったく違う行動をとることを忘れて、日本人のものの考え方、例えば 「そこまでウソをつくとは思えません、思いません」 式に判断しては、この問題はもちろん、中国における日本軍・民の“悪 行”を見誤るのは必至でしょう。現に誤りつづけてきたことですし。

(3) 全面肯定する笠原 十九司教授
 おそらく、日本において、これら万人坑に息を吹き込むのは、日本の大学教授、日本のメディア、あるいはアメリカを舞台に活動する「反日団体」 の影響を受けた米報道機関が先かもしれません。英語圏のメディアがとりあげようものなら、国内で一気に問題化するでしょう。

 1つ、お目にかけましょう。「日本歴史大事典」(小学館、2000年、2007年版)に掲載されている記述です。2000年版が初出だったようで、2007年版でも依然として記述は変わっていません。
 「万人坑はウソ話」だと雑誌に書き、また単行本にしたのは1994(平成6)年で、このときはすでに日本の百科事典、歴史教科書に記述が見られました。
 ただ、以下の例は2007年ですから、それでもなお「万人坑は中国のいう通り、事実だ」と主張していることになります。

 〈 万 人 坑

中国語で沢山の(厳密に1万という数を意味しない)死体が捨てられ埋められた穴という意味で、
日中戦争期の中国において日本側の鉱山、炭坑、大工事の現場付近につくられた
中国人労働者の集団埋葬あるいは死体放棄場所をさす。
「満州国」や中国本土の軍需資源の増産が必要となった日本は、雇用、徴用あるいは強制連行や捕虜使役、
囚人懲役など、さまざまな手段を用いて中国人を狩り集め、劣悪な条件で酷使した。
このため事故死や栄養失調による病死、懲罰的な虐待による死など、死者が相次ぎ、
それらの遺体を累積して万人坑が形成された。
中国側の調査によれば、万人坑は全国80か所に及ぶというが、その多くは中国東北地方に集中する。〉


 この記述、たまたま手元の電子辞書で見つけたものですが、調べれば他からも出てくるかもしれません。それにしても、今なお、こんなアホな記述が日本の歴史事典に大手を振って書かれていることに呆れました。
 ここには撫順炭鉱、南満鉱業といった具体的な名前があがっていません。というより多分、意識してあげなかったとだと思います。もちろん、批判を避けるためでしょう。

 執筆者は誰かと見れば、笠原 十九司とあり、「中国の旅」が参考図書としてあがっています。
 まったく書く方も書く方、それを載せる小学館の編集者も編集者です。この記述、偏向などという言葉を越えて、デマゴーグ といった方が適切でしょう。
 笠原 十九司(都留文科大学教授)といえば、20万人以上を殺害したとする南京「大虐殺派」の中心的存在ですから、「やっぱりね」と分かる気もしますが。
 笠原教授のごとく、万人坑を事実とした学者のほとんど(全部?)が「大虐殺派」であることは決して偶然ではないのです。彼らをも大学教授というのが笑わせますが。

(4) そこでお願い
 以上のような次第で、万人坑が日本の蛮行として世界的に喧伝、認知され、「謝罪と賠償」を要求されるかもしれません。わが国の名誉がさらに失墜することになります。
 ですから、こうならないために、心ある私より若い次の世代の方々に関心をもっていただき、事実だとした論文なり報道に接したらお仲間に注意を喚起するなり、その理由を明示するよう要求するなど、何らかの意思表示をしていただければと思います。
 このままで行けば、先々、とんでもないことになりますので。



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