― 撫順炭鉱の支坑にも ―
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煩雑になりましたので、撫順炭鉱の支坑であった老頭溝炭坑で終わりにします。「老頭溝」はたしか「ラオトウコウ」と炭鉱人は発音していたように思います。
つけ加えておけば、同じ撫順炭鉱の関連炭鉱であった阜新炭鉱 と鶴岡炭鉱 等にも、万人坑があったとされ、展示館が建っています。
「共同通信社」 の配信によって、加盟している全国紙、地方紙に取り上げられた例ですが、簡単に見ておくことにします。
それにしても共同通信といい、配信を受けた朝日を含む加盟各社といい、日本の残虐行為となれば無批判で報じるのはまったくもって異常ではと思います。その異常さが不思議にも思われず、デッチ上げが日本において事実と認知されて闊歩するのですから、救いようがないのかもしれません。
(1) 岐阜新聞より
命と引き換えの作業
強制労働の実態告発
と見出しを立てた 岐阜新聞(上写真。1991=平成3年11月12日付)をまずご覧ください。
吉林省の延辺朝鮮族自治州で、日本占領下の炭鉱の強制労働を研究している沈東剣・延辺博物館教授は、同自治州で 最も死亡率の高かった老頭溝炭鉱で発掘された大量の白骨死体(万人坑)の写真を公表し、
〈真の日中友好のために
この歴史的事実をぜひ日本の若者たちに伝えてほしい〉
と訴えたというのです。
報道は共同通信社の配信ですが、例によって、"加害者"とされた日本側の誰一人として取材せず、加盟各社に記事と写真を提供したのです。
こうなりますと、共同通信の記者は、事実の報道を旨とする記者というより、単なる「メッセンジャーボーイ」の役割を果たしただけであって、また加盟各社に配信すべきかどうかを判断する本社のエライ人たちの判断力は、メクラ同然というということになります。
そして以下のように報じられたのですが、もちろん岐阜新聞が事実関係を調べるわけもなく、配信記事と写真に目立つような見出しを工夫し、このような紙面ができあがったという次第です。
〈沈氏の調べた1940年の同社の統計資料 によると、
石炭産出量1万d当たりの労働者の死者数は25.8人に上り、
東北地方の炭鉱の中で最悪の労働条件だったという。
沈氏が76年から3年がかりで実地した元労働者約90人への聞き取り調査によると、
平均労働時間は毎日15時間に達し、粗末な食事しか与えられないため疲労や労働で動けなくなる者が続出したが、
こうした労働者には容赦なく暴力が加えられた。
「日本の鬼の親方、口から血をしたたらせ、1枚1枚皮をはぎ、身をそいでいく」
― 当時、労働者たちが坑道の中で伝え語った歌「鉱謡」には
労働者の命と引き換えに石炭を掘る「残酷な開発」を象徴するものが少なくない。
戦後一部が発掘された老頭溝の万人坑からは300体の白骨が見つかった。〉
(2) 朝日新聞より
日本の過去を嫌悪する朝日新聞が、「真の日中友好のため」という中国の殺し文句に耳を貸さないわけがなく、さっそく報道しました(1991年11月12日付)。
この1991年11月は、「東京撫順会」による全会員調査(⇒ 「検証 撫順炭鉱」参照)が行われた後のことであり、撫順炭鉱、南満鉱業側 から謝罪公告の掲載、『中国の旅』の絶版・回収等の要求を朝日側に申し入れた後のことでした。
ですが、朝日のとってそんな申し入れなどどこ吹く風。いや、むしろこれで『中国の旅』の正しさが証明されたとばかり、嬉々として載せたのではないかと思いいます。
ご覧のように、
旧満州炭鉱で過酷労働 死者は数千人に?
の見出しのもと、以下のように報じました(下写真)。
岐阜新聞と多くは重複しますが、異なる所もありますので引用します。
〈老頭溝炭鉱は戦前、中国侵略のための
日本の国策会社だった南満州鉄道株式会社の撫順炭鉱分鉱として、
日本の管理下に置かれていた。
沈氏の調べた1940年の同社の統計資料によると、
石炭産出量1万トン当たりの労働者の死者数は25・8人に上り、
東北地方の炭鉱の中で最悪の労働条件 だったという。
沈氏が76年から3年がかりで実施した
元労働者約90人への聞き取り調査によると、
平均労働時間は毎日15時間に達し、粗末な食事しか与えられないため
疲労や病気で動けなくなる者が続出したが、
こうした労働者には容赦なく暴力が加えられた。〉
〈戦後一部が発掘された老頭溝の万人坑からは300体の白骨が見つかった。
総死者数の資料はないが、元労働者や目撃者の証言から数千人に上るだろうと沈氏は推定する。〉
というのです。
この配信記事を加盟する数十社のうち、何社が紙面に載せたのかわかりませんが、今までの例から考えて、かなりの数の新聞が報じたのでは思います。
また、大同炭鉱の項で紹介した、『昭和史の消せない真実』(岩波書店)にも、岐阜新聞の写真と同様のものを何枚も掲載し、その悪逆ぶりを告発しています。
こうした報道が積み重なって、かつての日本人がいかに残虐かつ恥ずべき行為を平然と行ってきたのか、その不気味さとともに強い贖罪の念を、われわれ日本人の意識の底に沈殿させたはずです。
それも、当然のことのように、日本側をまったく調べようともせずにです。
記事にあるように老頭溝(らおとうこう)炭鉱は、吉林省の延辺に近い、撫順炭鉱の「支鉱」の一つでした。年間採炭量の最も多かった年は、1943(昭和18)年で20万1000トン、20万トンを超えたのはこの年だけでした。
日本人社員数十名(50人程度か)、工人(現地労働者)も1000人未満 という小さな炭鉱のため、撫順炭鉱に所属する蚊 河(ジャーハー)採炭所の管理下におかれていました。
規模の小さいことなどから、「採炭所」という呼称を使わず、「坑」の字を当て、老頭溝坑と呼んでいました。
鉱山は坑内掘りだけでメタンガスはほとんどなく、管理のしやすい炭鉱であったと関係者は話しています。
(1) 関係者の証言
幸い、終戦時、同坑の最高責任者であった 内村 豊坑長が存命でした。交通事故などで厳しい病状のなか、ていねいに私の質問に答えてくれました(1992年4月25日付け書簡)。
内村坑長は「中国の旅」報道が話題になっていたことを記憶していました。私の送った岐阜新聞などの資料を見て、
〈 坑内は危険で暗黒の世界です。監督者も労働者も事故のときは一緒です。
命と引き換えの仕事なんてできるものではありません。
この辺の事情が理解されていないようです。〉
そして、私の質問に、「不十分ながらご報告申し上げます」として、以下のように答えてくれました。なお、上写真は3枚のうちの2枚目と3枚目です。
@ 老頭溝は蚊河採炭所の支坑です。終戦時、蚊河に帰りました。
A 従業員とその家族全員(144名)無事 蚊河に帰着しました。
B 老頭溝で万人坑のことは聞いたことも見たこともありません。出発の当日は平穏無事、暴動など考えもしない状況でした。
C 死体捨て場など炭坑にはありませんでした。老頭溝炭坑はガス(CH4)(注、4は小文字)は殆んどなく、出水もなく、多数の犠牲者を出すような(事故の起きるような)炭層ではありません。
と明言します。
「あなたのお手紙と同封の資料で問題の所在を知ったような次第です」と書く現場責任者であった荻野 三男坑内主任は、私の送った資料を何度も何度も読み返したといい、「老頭溝万人坑について一切心当たりがありません」と否定しました。
終戦とともに採炭作業は休止、ソ連軍の戦車が通過してゆくなか、不測の事態が発生することをおそれ、全員が蚊河採炭所に避難することにします。
内村 豊坑長によれば、「日本人従業員と家族144名」は手配できた貨車1輌に載って無事、同採炭所に到着できたといいます。
車輌の手配にあたった荻野三男は、「荷物は一家族につき布団包み一ヶに制限、気の毒をしました」等と当時の状況を記すとともに、「現地での暴動は一切、体験しませんでした」と書き、内村坑長の「出発の当日は平穏無事、暴動など考えもしない状況でした」とする回答と一致しています。
また、蚊河採炭所に所属し、技術指導のため30数回、老頭溝を訪れた梅沢 伊八も「何か為にする悪意から勝手な処から写真を持って来たとしか考えられません」と新聞報道を否定しました。
(2) 統計は語る
撫順炭鉱の統計資料は整備されていました。
見づらいのですが、統計の緻密さを何となく感じ取れればと思い、下記に掲載しました。
左の2枚が「老頭溝坑」の分で、「原因、程度別公傷者」です。この統計は、「死亡」を「日本人」と「満州人」とに分類、「満州人」は雇用形態により「傭員、常傭方、採炭夫、其他」と4分類され、それぞれ人数が示されています。
また「死亡」のほかに、「入院」「休業通院」「就業通院」とあり、これらも日本人と満州人に分け、満州人はさらに「死亡」と同様に4分類されています。
この表は1940(昭和15)年度の「従業員の原因、程度別公傷者」ですから、中国の沈東剣・延辺博物館教授が調べたという1940(昭和15)年の「同社の統計資料によれば、 石炭産出量1万トン当たりの労働者の死者数は25・8人に上り、東北地方の炭鉱の中で最悪の労働条件」に相当する年度のものです。
死亡者数は右端上の赤丸を付けたところで、「9 人」と出ていますが、見にくいのでこの部分を拡大したのが右端の表です。これなら「9人」という数を何とか読み取れるでしょう。この上欄の「1」、その上の「8」の意味は以下のとおりです。
つまり、1940(昭和15)年度の現地人(満州人)の死者は「9人」で、内訳は採炭夫が「8人」、残る「1人」は「其他」に分類されています。なお、日本人の死者は「―」(右上端し)となっていますので、0人というわけでしょう。
この年の出炭量は12万7500トンですから、「1万トン当たりの死者は0.7人」となります。
かりに統計時点で入院していた患者(12人)が全員死亡したとしても、死者は21人(9プラス12人)ですから、1万トン当たりの死者は1.6人になります。
沈教授のいう1万トン当たりの死者数、25.8人が正しければ、実に330人の死者がでていなければおかしくなりますし、老頭溝坑には、工人は1000人程度しかいなかったのですから、実に「3人に1人」 が死亡したことになってしまいます。
同じ年度の撫順炭鉱全体の死者数は「284人」だったことを考えれば、沈教授の出した数字が現実離れしたものかがよく分かります。
ちなみに、同年度の撫順炭鉱の出炭量は837万トンでしたから、1万トン当たりの死者数は「0.33人」で、老頭溝坑がとくに死亡率の高いヤマであったわけではありません。
沈教授のいう「同社の統計資料」が具体的に何なのかを公表し、その統計が信頼に値すると確認できないかぎり、「東北地方の炭鉱の中で最悪の労働条件 」などという結論は受け入れられません。まして万人坑の存在など論外です。